ブライアンとシャーロッタ

ブライアンとシャーロッタ一家がディナーに来る。

ブライアンたちは、私の古くからのそして縁の深い友人だ。ブライアンはUNHCRの職員で、シャーロッタはスウェーデンの外交官。私と夫のコンビとも似ている。最初に彼らに会ったのは1991年のことだから、もうかれこれ20年の付き合いで、私が夫を知っているよりも倍くらいの年月知っていることになる。彼らは、私がUNHCRアンカラ時代にすんでいたアパートをジュネーブ転勤のため引き払う時に、気に入ってそこに入居した。それからもジュネーブでもよく行き来したし、私が夫と結婚してストックホルムに住んでいた頃は、ブライアンがUNHCRストックホルム事務所に赴任していた。そして彼らは今NYに住んでいる。シャーロッタはスウェーデン代表部にこの7月まで勤務し、ブライアンはUNHCRのNY事務所から去年、国連事務局の人事部に移り引き続きNY勤務している。彼らの長女のモリーは私は生まれた時から知っているのだが、今では高校生でNYでは時々どうしても娘のピックアップの手が足りない時などに頼んだりしている。

もうひとつ彼らとの縁の深さを感じるのは、私たち一家と、彼らの一家は、まったくの偶然に同じスタヴスネス村に別荘を購入したことだ。その時はお互い本当にびっくりした。それ以来、夏は良くこの村で行き来している。夏の間に必ず何回かディナーに呼んだり呼ばれたり。今年はまずうちに来てもらった。

カナダ人のブライアンはとても有能な国連職員であるだけでなく、人間的にもとても魅力のある人だ。実は彼は、スウェーデンに赴任していた1990年代の終わりから2000年代の初めにかけて、非常にたちの悪い癌にかかり、つらい化学療法を含む厳しい闘病生活を送った。そして数年前、正式に「完治」のお墨付きをもらったという体験をしている。闘病時代、化学療法ですっかり髪の毛がぬけてしまった彼といろいろなことを話したものだ。もし治らなかったら子供たちはどうなるのだろう。子供たちがスウェーデン人で本当に良かった、片親になっても教育の心配なども一切しなくて良いのだから。もし自分は死んだらどこへ行くのか、など。その後、めでたく完治して彼が私たちに言ったことは、結局仕事は人生の生きがいではありえないこと。一番大切なのはやっぱり家族と過ごす時間であること。だから彼らにとってもこのスタヴスネス村の別荘はとても大切な意味を持っている。

さて、今日のメニューは、以下のとおり。

1. フランスパンを薄く切ってオーブンでガーリックトーストにしたものに、2種類の前菜をのせて食べる。ひとつはトマトとバジルの葉をオリーブオイルとバルサミコで合えたもの。子供たちの好物。もうひとつは、このあたりの森でたくさん取れるカンタレール・マッシュルーム(日本語では杏茸という)を紫たまねぎのみじん切りといためて、少しクリームを加えたもの。これは大好評。実は、去年ブライアンに教わったレシピなのだが、私の方が味が良い、とのことで今度はブライアンに教えてあげる。ちなみに今日のカンタレールは店で買ったものだが、雨も降ったし、きっと森にきのこがたくさん生え始めるだろう、数日たったら散歩がてらきのこ狩りだ、と話しながら頂く。
2. メインは、チキンのサテーとサーモンのグリル。これらは外のバーベキューグリルで焼く。チキンにはピーナッツソース、サーモンにはきゅうりとディルをトルコのヨーグルトで合えたソースを作る。
3. 付け合せに、ナスとズッキーニをにんにく風味でオリーブオイルで焼き、バルサミコにマリネしたもの。ここに来ると、地中海風の料理を良く作る。
4. 松の実を入れたグリーンサラダ。
5. ご飯
6. デザートは夫特製のアップルパイ。うちの夫は、料理は一切駄目だが(卵もゆでられない)、アップルパイはおいしいのを作る。このアップルパイを食べるのがブライアン一家とのディナーの恒例。今年も大きいのを作って、これまた特製のバニラソースをたっぷりかけて皆で食べた。

食後は、まだ明るいので庭に出て「野球もどき」のゲームをして皆で遊ぶ。そしてお茶を飲みながら、皆が定年退職した後もこうやってスタヴスネス村で行き来をするのかしらね〜などと話す。そう、退職したらたぶん私たちは春から秋にかけてはここに、冬は日本で暮らすだろう。そしておそらくブライアンとシャーロッタたちと、行き来しているのだろう。