Slaughter vs. Sandberg

「スローター対サンドバーグ」。法廷での争いではない。最近、アメリカのキャリア女性の間で大きな話題になっている、「果たして女性はキャリアも家庭も、すべてを手に入れることができるのか?」という論争だ。

事の発端は、アトランティック誌の最新号に掲載された、プリンストン大学ウィッドローウィルソン国際関係学部長のアン・マリー・スローター教授のエッセイである。そのタイトル、「Why Women Still Can’t Have it All」。http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2012/07/why-women-still-can-8217-t-have-it-all/9020/
スローター教授は、クリントン国務長官のアドバイザーとしてプリンストンを休職してオバマ政権入りし、最近、プリンストンに残してきた家族(ティーンエイジャーの息子2人と同じくプリンストン大学教授の夫)のために、国務省のポストから辞任した。良く知っているわけではないが、セミナーなどで数回ご一緒したことがある。このエッセイの中で彼女は、アメリカの組織文化がいまだに本当の意味で家庭を持つ女性が活躍できるものではないことを自らの体験を下に赤裸々に告白した。同時に、すべてを手に入れようと必死に努力したフェミニスト世代の下の、若い世代の女性には、もっと柔軟に人生設計をするようにとアドバイスしている。例えば、40代で成功しなければならないわけではない、平均寿命が延びて60代でも元気に活躍できるのだから、家族とともに過ごす年代にキャリアが少しスローになっても良いではないか、ということだ。

対するシェリル・サンドバークは、フェースブック社のエグゼクティブである。40代前半の彼女は、2人の子供の母親でもあるという。彼女は2009年にフォーチューン誌で、若い世代の女性たちにともかく勇気を持ってすべてを手に入れるべく努力せよ、前進せよと呼びかけ、以来、各地での講演でそのメッセージを繰り返している。

スローター教授のエッセイは発表の同日、国連の私たち女性職員の間でも瞬く間に話題になった。実は私はPKO局の中では唯一の、「結婚して子供もいる上級部長」ということで、局内の女性職員からメールが何通も飛び込んできた。時機を見て、他の女性幹部職員とも連携して、何かしら議論の場を設けなくてはと思っている。

告白すれば、私自身の考え方は、自分の人生の経緯の中で時に応じて変化してきたと思う。以前は、当然サンドバーグ派。女性だからすべてを手に入れられないのはおかしい、後進の女性のためにも、家庭もキャリアもすべて手に入れなくてはならない、それが可能ですよと示さねばならない、と何時も思ってきた。でも、今は徐々にスローター派に移行しつつあるのかもしれない。幸い私はスウェーデンという、こういう論争そのものが存在しない社会(つまり、男女がほぼ完全に同権になり、男性もごく当然のごとく「今日は僕が子供を保育園に迎えに行く日なので失礼します〜」と4時に退社することが可能な社会)出身の理解のある夫がいるので、これまでほとんど苦労することなしに両立が可能であった。しかし私が近頃同僚たち、しかも同世代の「同志」的な男性職員とよく話すのは、最終的に、プライベートでもバランスよくハッピーでなくては、本当によい仕事ができないのではないか、ということ。ということは、キャリア進展が多少スローになっても、それは将来への投資ととらえる余裕を持つことも重要なのではないか、ということ。確かに私の内面をのぞいてみると、いつも娘たちのことを考えている。ということは、これが目下の私のプライオリティーなのであろう。そして、今から、子供たちが巣立ったときにはこれをしたい、あれをしたい、といろいろと計画を立てているのだが。

日本の女性たちよ。是非、スローター・サンドバーグのエッセイを読んで考え、行動してください!