コンゴNo.4 ゴマ

 北キヴの重要な街であるゴマはルワンダとの国境の街である。1990年代半ばのルワンダ難民危機では100万人もの難民が、ルワンダ側のギセニから国境を越えて押し寄せた。活火山であるニアラゴンゴ山が数年に1度噴出す黒い溶岩のおかげで土地は肥沃であり、何でも種をまけば何もしなくても育つのだという。街を一歩出ると、サバンナとジャングルが広がる。

街の中では、木製の二輪手押し車が目に付く。この種の手押し車は、ゴマ地域以外で見たことがない。

 北キヴはインド軍が主に展開している。ここに3泊し、軍司令部や文民各部門からのブリーフ、UNHCRやICRC(国際赤十字委員会)そしてNGOとの会合。ICRCとの会合は特に印象的だった。PKO関係者やUNHCRなど国連の人道援助機関は、職員の安全のため軍のエスコートなしでは移動などをしないのだが、ICRCは独自にどこでも入っていくツワモノなのだ。コンゴ東部はいわゆる「幹線道路」でさえほとんど舗装されておらず、ジープやトラックでの移動が非常に難しいのだが、彼らはその幹線道路からわき道の、ほとんど獣道ともいえるアクセス路をオートバイまたは徒歩で入りジャングルの奥地にまで入って行く。リュックを背負い、時には3日間歩いてあらゆる武装反乱部隊ともコンタクトを保ち、人道活動を行っている。アフガニスタンでもどこでも、紛争地帯で常に最も情報を持ちすごい活動をしているのはICRCであり、私は彼らに最高の敬意を持っている。もちろん、彼らは文民である。

 さて、ここでコンゴの主な武装勢力を見てみよう。まずFARDC、コンゴの正規軍。前にも述べたが、正規軍といっても兵士への給与の支払いも滞りがちで、士気・規律も一般に低く、コンゴ東部で頻発するレイプや略奪といった人権侵害の約半数は正規軍兵士によるものだ。国連はこの正規軍の訓練を支援し、規律の取れた国軍に育てるという活動を担う。そしてCNDP(Congrès National pour la Défense due Peuple)。ルワンダの現政権の支援を受けたコンゴのツチ系の武装グループだが、FARDCとは和議を結び正規軍に編入されているのだが、両者の関係は必ずしもスムーズなわけではない。FDLR(Forces Démocratiques de Libération du Rwanda)は、ルワンダのフツ系の武装勢力で要するに1994年のルワンダでのジェノサイド首謀者の生き残りと、彼らが引き入れたフツ系の若者たちのグループで、正規軍にとって主な交戦相手となっている。ジェノサイド首謀者たちは決してルワンダに帰還することはないが、当時まだ子供であってジェノサイドに責任のない若年層の兵士を中心に、国連は武装解除ルワンダ帰還のための支援努力を重ねている。そして、様々なマイマイ武装民兵グループ。マイマイとは、「水・水」という意味である。彼らはそれぞれのコミュニティーの「自警団」的な存在であったが、魔法の水を体に振り掛けると不死身になると信じている。彼らによる略奪・レイプなども頻発している。そしてウガンダ武装反乱勢力であったLRA(Lords Resistance Army)。その他いくつかの武装勢力コンゴでは入り乱れて活動する。

 ここ北キヴでも、PKO部隊の主たる活動内容は略奪やレイプ、人権侵害から市民を守り、武装反乱部隊の除隊や武装解除を支援することだ。 保護活動に関しては、PKOの民軍が協力して脅威にさらされている地域を訪ね情報を収集して、軍のパトロールを組織して安定化に努める。武装勢力が移動しつつあるといった情報がPKO部隊に入りやすくなるよう、いろいろな村・コミュニティーに現地の人のコンタクトを決めておき、情報を提供してもらう。コンゴという広大な地域で、限られたPKO部隊要員が効果的に保護活動を行うには現地の人々との関係が重要なのだ。

 次回はこのPKOによる市民の保護のいくつかの活動を紹介しよう。