「日本の凋落:ダイナミックから落胆へ」

このタイトルは、今日のニューヨークタイムズ誌(9月17日付)の第1面のトップ記事のヘッドラインである。http://www.nytimes.com/2010/10/17/world/asia/17japan.html?src=me&ref=general
いつものように家族のおきだす前に大きなマグに濃いブラックコーヒーをつくり、ゆっくり日曜版を読もうとして飛び込んできたタイトルにはびっくりした。要するにながきにわたるデフレがいかに日本の一般庶民の生活水準を低下させたかについての記事なのだが、先進諸国特にアメリカがいかに日本からの教訓を生かすべきか、いかに「日本のようにならないように」すべきかというのがこの記事のメッセージなのだ。

NYタイムズの土曜・日曜版というのはたいへんなインパクトがある。普段は株価の数字を追うだけで新聞は読まない人も多いNY。そんなニューヨーカーでも、ウィークエンドにはブランチと称して遅めの朝食をとりながらゆっくりとニューヨークタイムズを読む、というのがインテリ達の典型的な週末の過ごし方だ。その日曜版トップの記事になるほど、日本の凋落はそのスピードと内容の両方において際立ったものとなってしまった。そして、その凋落に歯止めをかける有効な手立てを日本はいまだに見つけられないでいる。

私はこのブログやインタビュー記事などでも、日本が大国の地位とプレゼンスを保持すべきということを述べている。もしかするとこれはもう難しいことなのかもしれない。日本は「ミドルパワー」国として存在すべきという論があり、時代の流れはおそらくそういう方向に進んでいるのだろう。ただし、私が強調したいのは、ミドル「パワー」になるのはとても難しいことだという点だ。中規模の国が、経済や軍事力ではない手段で存在感を見せつけ「パワー」となり、世界の意思決定に参画するもしくは強い影響を及ぼすには、世界中どこでも通用する指導力・創造力に富んだ多くの人材(語学を含めて)と、彼らを十二分に活用できる柔軟なシステム、そして激変する世界の状況に有効に対応できる決断力を持つ強い政治体制とリーダーシップが必要だ。このどれをも、現在の日本は残念ながら持ち得ていない。このままで行けば、日本は間違いなくミドルパワーではなく、経済大国から単なる衰退した中規模の国になるだろう。

国連での日本のプレゼンスも薄い。国連デー(10月24日)には、せめて和服で日本の存在を見せようと思い、国連のブルーに近い薄浅葱色の色無地を選び黒地の七宝の帯とあわせて準備する。国連インターナショナルスクールに通う上の娘も、今年の国連デーパレードには着物で。スウェーデン国籍も持つ彼女は、隔年でスウェーデンの民族衣装と着物を着る。今年は娘と2人、せめて胸を張って日本人するとしよう。