ルワンダの今日

前回ルワンダを訪れたのは1995年の終わりごろだったと思う。ジェノサイドから約1年たった頃だった。ザイール(現コンゴ)、タンザニアブルンジなどのルワンダの周辺国に約200万人もの難民が流出し、人道危機の最中であった。ルワンダ国内にはジェノサイドのショックとトラウマが色濃く残り、数日間の滞在中、笑顔の人を一度も見ることがなかったのを、今もはっきり覚えている。

今回の出張は、私たちのPKO幹部候補者向けの研修コースを、オーストラリア政府の資金援助をうけたルワンダ政府が開催し、その閉会式に出席するというのがオフィシャルな目的である。閉会式はルワンダの外務・国防両大臣が出席。実はルワンダ政府との間にちょっとした懸案事項があり、ダルフール南スーダンに数多くのPKO要員を派遣しているルワンダ政府との関係改善・強化のため、急遽出張することになったのだ。懸案事項があるにもかかわらず(だからこそ?)、政府は私を歓待してくれた。外務・国防両大臣との会合、
ルワンダ軍参謀長との会合や昼食会などに加えて、ダルフールなどに派遣されるPKO部隊の訓練施設や、新設の平和アカデミーの視察、おまけにダルフールに派遣されるルワンダ空軍のヘリの視察

など、政府の強い要請で滞在を1日延長してプログラムをこなすことになった。

しかしなんといっても、今回のルワンダ訪問では、ジェノサイド直後からの復興と当時と今日の差に目を見張った。国連職員としてぎりぎりの発言をすれば、カガメ大統領は独裁傾向が強い、と多くの国から批判を受けているのは事実だ。しかし少なくとも表面上、ルワンダの紛争後の「安定」には目を見張るものがあるのもまた事実である。

キガリの空港に着くと、まず機内放送でビニール袋を持っていたら機外に持ち出さないように注意される。ルワンダでは、ビニール袋は禁止。免税品を入れたビニール袋なども没収される。何でもカガメ大統領がどこかのアフリカの国を訪問した際、ビニール袋やごみが散乱する有様を見て、都市の美化のために禁止を決意したとか。確かに、首都キガリにはごみがひとつも落ちていなかった。道路わきのいたるところに花が植えられ、ミルコリン(千の丘)のある街キガリは、これまで訪れたアフリカの都市の中で最も美しい街に生まれ変わっていた。そしてルワンダは、2020年までに中所得国を目指すという。

平和アカデミーの所長(ルワンダ軍の准将)の案内でジェノサイド記念館、そして約2000人が殺戮された教会の跡などを訪れた。約100日間に80万人が犠牲になったジェノサイド。人間はなぜこのような行為をすることができるのだろうか?何が人間を狂気に走らせるのか?ずっと以前、カンボジアのジェノサイド記念館を訪れたときと同じように深く深く自らの内面に問いかける。あまりに大きな犠牲と、あまりに大きな問いかけに、自然と頭をたれることの多かった、今回の訪問であった。