南スーダンに揚がる日の丸

国連旗のとなりの日の丸。ジュバの日本隊宿営地に揚がる日本の国旗である。長く国連に奉職した私にとって、わたしの国旗と国連旗がともに揚がる風景ほどうれしいものはない。

キガリからナイロビを経て、ジュバ入りした。ナイロビでは、ソマリア関連の話とUNEP(国連環境計画)との政策協議(要するに、どうやってPKOのCO2排出を削減するかという話。なにしろPKOは国連のなかで最も排出量が多いのだ。)をして、おまけに誕生日をむかえてまた1歳年をとり、ようやく今回の出張中個人的には最も優先順位の高かったジュバにたどり着いたというわけだ。もちろん国連職員として、PKOミッションの中でも重要度の高い南スーダンのミッション(UNIMISS)をきちんと理解し、本部からどのような支援をすべきかを考えるということもあった。ちょうど、UNMISSからミッション設立1年後のレビューを支援して欲しいと私の部署に要請があったこともあり、その準備もかねてUNMISS幹部との話し合いが必要でもあった。

しかしそれに加えて、自衛隊南スーダン派遣に国連の中から尽力した人間として、やはり自衛隊の活動そのものを視察して、その実力を思う存分発揮してもらうどのようなサポートができるかを考えてみたかったのだ。これはおそらく今後の日本のより積極的なPKO活動参加につながることでもある。

まず、第一印象としてやはり自衛隊が出ていることによる日本の存在感は大きかった。もう25年間もこういう仕事をしてきて、それこそ数え切れないほどの紛争地・紛争後の現場を見てきたが、ジュバでの日本の存在感はほかとは比較にならないものがあったと思う。もちろん、自衛隊だけではなく、すでに数年間も活動を続けているJICA、そしてまだ大使館ではないが事実上そのような昨日を果たしている外務省の現地連絡事務所、そして国連のいくつかの機関に勤める日本人職員たちの努力によるところも大きい。ジュバの生活環境は決して楽ではないので、本当にありがたくうれしいことだ。

ジュバ派遣されている自衛隊の第一次隊は、中央即応連隊(CRF)からの派遣で、宿営地の立ち上げから施設活動をスタートさせる、私たち国連の言葉で言えば「スタートアップ」のフェーズを担当した。私の訪問からしばらくして、S隊長はじめ皆さんは帰国の途につくことになるという。同時に、順次二次隊がジュバ入りし、本格的に活動が始まっていくことになる。私の訪問中は、宿営地では寝泊り、業務、シャワーや食事などすべてテントであった。(これまでいくつもの宿営地を視察したことがあるが、テントといっても清潔でさすが日本、というレベルの高さ。ダルフールで2年間勤務した私の補佐官は、ダルフール駐在の各国部隊の宿営地とジュバの日本隊の宿営地の差にびっくりしていた。)これから、宿営地にはコンテナが配備され、生活環境は改善されていくだろう。




ヒルダ・ヨンソン事務総長特別代表やオビ司令官などUNMISS幹部にも、日本の施設部隊の活動の質の高さはしっかり評価されている。ともかくまじめに、真剣に取り組み、コミットしたことは守りきちんと達成する。傲慢なところがなく、現地のコミュニティーとの関係も良好だ。性的搾取といったPKO部隊にありがちなスキャンダルとも、もちろん無縁。国連PKOが常に日本の積極参加に高い期待を抱いているのには、当然の理由があるわけだ。

今回の訪問中は、ヒルダから日本隊の活動のタスキング決定メカニズムをどう改善すればよいかアドバイスを求められた。PKOの現場はしばしば複雑怪奇である。特に南スーダンのようにほとんどインフラらしいインフラが存在しない場所では、日本隊への依頼はPKOのみならずUNHCRなどいろいろなエージェンシーや南スーダン政府などからも数多く寄せられる。それらにどう優先順位をつけ、タスキングの決定をしていくか。UNMISSの一部としての自衛隊の活動であるから、正式のタスキング・オーダーはUNMISSから受けなければならないが、いかにそのタスキング・オーダーのなかにUNMISS以外の依頼をふくめていくか。まだ活動初期であったのでUNMISS側も、日本側もこのメカニズムをきちんと機能させていくための努力をしているところであった。ヒルダと日本側にそれぞれにいくつかのアドヴァイスをしたが、活動が本格化していくにしたがって、自然と解決されていくことでもあろう。

この課題には、実は大きな背景がある。イラクアフガニスタンで活用されたPRT(地方復興チーム)の復興支援と、国連の主導の下での包括的な戦略に基づいた復興支援の役割の分担との比較である。いずれも、紛争後の不安定な状況下での支援であるが、実はISAF参加国においてもPRTの活動の効果には大きな疑問がもたれている。国レベルでの包括的な戦略と支援活動の優先順位づけなきままのばらばらなPRT支援は結局のところ大きなインパクトがなかったのではないか、というのがその内容である。対して、国連のPKOミッション活動国においては事務総長特別代表の下、まず当該国の政府とともに平和構築支援の全体像と優先順位付けをしていく。その元で、様々な活動がなされていくべきというのが国連の考える「包括的アプローチ」なのだ。そして、国連はこれこそが国連PKOの強みであると考えている。

これは日本の南スーダンでの活動にとって、どういう意味があるだろうか。私は単にUNMISSとうまく調整して日本隊のタスキングが決められていくということを超えて、この南スーダンの復興支援の全体像・戦略作りにこそ、日本がプレゼンスを向上し、発言権を持っていくべきだと考えている。これは様々なレベルで実現していくことでもある。UNMISSのマンデートを決定する安保理での発言権を確保していくこと。ジュバでは一刻も早く連絡事務所を大使館に格上げして、国づくり支援の全体像についての発言権・影響力を事務総長特別代表や南スーダン政府に対しても高めていくこと。自衛隊施設部隊のもつ強みをしっかりアピールした上で、どのような活動が全体的な国づくり支援のなかで最も効果的になされるのかをしっかり議論していくこと。こういう状況になれば、日本としてうまく国連PKOの枠組みを「利用」しつつ紛争後の国づくり支援を行っている、ということができるのだろうと思う。

少し長くなった。最後になるが、何よりも最も大切なのは、派遣されている一人一人の方々の努力と活躍。訪問させてもらった宿営地のテントでは、家族の写真をデスクの上や簡易ベッドの隣に飾ってあるのを目にした。許可なくブログにそんな風景の写真を掲載はできないが、個人的には一番印象に残る風景でもあった。家族の支えがあってこそできるのが、世界と連帯しつつ日本の国益にもかなう仕事。私も、2人の娘のことをちょっと思い出した、そんな風景だった。

ジュバでお世話くださったS隊長や皆さん、本当にありがとうございました。