中国訪問 −PKO要員の養成努力

今回の中国訪問は国防省人民解放軍の招待。中国が人民解放軍の幹部司令官たちを対象にPKOのリーダーシップ訓練コースをはじめておこなうことになり、開会式でスピーチを頼まれたのだ。1週間にわたるこの特別コースの参加者たちは、中国全土はもとより海外に赴任している人民解放軍の大佐から少将までの階級を持つ幹部たち20人である。今年の春に中国政府の要請を受けて以来、私の統括する部局の一部である訓練部がカリキュラムの内容作りを手伝い、メンターと呼ばれる教官を紹介したり、様々な形でサポートしてきた。もちろん、費用は一切中国政府もちである。ちなみに、中国政府は4億ドルかけて大変立派なPKO訓練センターを去年開設しており、今回のリーダーシップ特別コースもそのセンターでおこなわれた。中国は現在すでに2000人強のPKO要員を派遣しているが、さらに増強していくことを明確にしている。そのためにはまずリーダーを養成すべし、ということでこの特別コースを作ったのだ。

コースの始まる前に、早起きして北京に行き(PKO訓練センターは北京の郊外約80kmのところにある)、国防省にて人民解放軍の参謀次長との会談にのぞむ。今回はNYの国連本部から私とPKO局の軍事部門の次長であるインドの少将が招かれて訪問したが、シビリアンコントロール文民支配)の原則から私が国連代表団の長である。(ちなみに上級部長という私のランクは少将と同レベルだ。)その他に、私たちの紹介した教官たち4人もこの会談に同席する。彼らは皆、国連PKOミッションで司令官を経験したことのある退役中将・少将および警視総監で、国連PKO局が1年に2回おこなうリーダーシップコースの教官もよくお願いしていているので親しい人たちばかり。皆ユーモアのセンスに富んだ紳士でしかもフェミニストたちなので、グループの中では最も年若で女性の私が団長として行くのがよほどうれしいらしく、北京に向かうバスの中で冗談が飛び交う。「イズミ、これだけ最強の護衛団にエスコートされていくわけだからね、せっかくだから例の、なんと言ったっけ、尖閣諸島の問題、話をつけてきたらどうかね?」「ちょっと余計なことを言わないで黙ってついてきてください!」

記念写真撮影などのあと、30分の予定をこえて1時間近く通訳を交えて参謀次長と意見交換。私からは訓練分野での協力は今後ももちろんおこなっていくし、さらに中国側と政策対話も深めていきたいと伝える。こちらから要請したより積極的なPKOへの貢献依頼、特にヘリ部隊の派遣に関しても「前向きに検討する」との返答を得た。去年の秋までは部隊の英語でのコミュニケーション能力など、派遣の困難さを前面に出してくる返答だったので、明らかに前進でまずまずの成果だ。NYでは事務総長が国連総会参加のために訪れている中国首相と会談するはずなので、早速ブラックベリーで簡単に内容を本部に報告する。

会談のあとPKO訓練センターにとって返し、開会式。羽田からの飛行機の中で書いた原稿をベースにスピーチする。昨年来のPKO改革・強化プロセスの進捗状況、そしてその中で中国のPKO貢献にどのような意義があるのかを述べた後で、コースの参加者たちに向けてのメッセージ。国連PKOとは平和のための活動であって、紛争後の国々で市民を保護し、人権の擁護者となり、法の支配を確立させて民主主義の立ち上げに手を貸すという国際社会の共通の目的のために派遣されるものであること。世界平和という目的を共有する同志になってほしいこと。そのためにリーダーたる彼らが、部隊にインスピレーションを与え、非常に複雑で混沌としたPKOの現場で部隊を指揮して頑張ってもらいたいというメッセージだ。コースの参加者たちは皆PKOに派遣された経験を持つ人たちばかりで、英語も流暢である。PKOに関する知識もしっかりしているようで、期待を持てる人材ばかりという印象だ。ただし、課題としてはPKOの現場は黒・白で判断できる状況ではないことがほとんどで、指揮官は単にルールを厳格に実施すれば良いといった単純なものではないことを理解することだろう。有能なPKOの幹部は、混沌とした状況を的確に把握したうえで自らの頭でPKOの原則と照らし合わせて対応を考え決定する、フィレクシビリティーと判断力を持たなくてはならない。これは中国だけでなく日本にも当てはまることであるが、ルールブックやマニュアルに照らし合わせての行動では足りないのだ。教官たちも、この点を1週間のコースの中で重点的に議論していきたい、とのことであった。

開会式のあとで歓迎午餐。参加者のほかに様々な関係者たち約50名が大テーブルを囲む。何でも北京で一番大きなテーブルなそうな。ここに会した人民解放軍の幹部たちは、たぶん国際派エリートといわれる人たちなのだろう。皆当然流暢な英語を話す。右隣の少将のお嬢さんは、オックスフォード大学を卒業し上海でプライス・ウォーターハウスに勤める経営コンサルタントなのだそうだ。左隣の准将のお嬢さんは、4年間全額奨学金を得てイエール大学に通い建築家を目指しているという。いずれも娘たちを大変誇りに思っていて、海外で教育を受けた優秀な若い世代が将来の中国を引っ張っていくと信じている。こういうところが中国で進みつつある重要な変化であって、このような開明的な国際派エリートたちが中国国内で影響力を維持し主流となるように私たちも知恵を絞らなくてはならないと思う。実に興味深い、楽しい午餐であった。

2泊目は北京のホテルに泊まり、翌朝外務省で会談。もっとも、局長レベルの幹部職員は首相に随行してNYに行ってしまったので、課長レベルの人と会う。若手の女性で、PKOのことをきちんとフォローしているらしく、しっかりとした知識を持っている人のようだった。私は肩書きにこだわるより、中身のある人と話しをするのを好む。以前補佐官としてついていた、セルジオ・デメロ(2003年8月19日にバグダッドでテロの犠牲となり殉職)から習ったことのひとつだ。

外務省から空港に向かう。NY行きのコンチネンタル便は3時間遅れだという。子供たちが寝てしまう前に帰宅できるだろうか?