南スーダンと日本の安全保障

娘たちは今年最後のスキー教室に行き、夫は午後遅くに出張中のタンザニアから戻る予定。娘たちのお弁当用に、餃子、ミートボールなどを大量に作って冷凍し、コンピュータに向かう。ずっとのびのびになっていたが、自衛隊南スーダン派遣のことを書いてみたい。去年の夏から国連の側でいろいろと関わってきたが、当然のことながら決定に至る過程や派遣までの準備中は様々な課題や微妙なこともあり、これまでは書くべきではないと考えてきた。だが、もうよいだろう。

去年の国連総会演説で野田首相南スーダンPKO自衛隊派遣の意図があることを述べた時、あれだけの震災後わずか半年で日本がそれまで以上の国際貢献をする覚悟を表明したことを国際社会は高く評価した。南スーダン独立以前からあった PKOミッション(UNMIS)に部隊をすでに派遣していた途上国をのぞき、7月に設立されたばかりの新しいPKOミッション(UNMISS)に派遣の可能性を早々に表明した先進国は日本だけであった。未曾有の大災害直後にも派遣の実力があるという、日本の国力を国際社会に見せつけたこともあったが、3.11後の日本が内向きにならずに国際社会の中で力も責任あるメンバーであり続けるという覚悟を表明したことでもあり、実に大きな意義があったと思う。ここまでいくには、菅政権から野田政権にかわったことも大きかったが、表には出てこなくとも、何より長い時間をかけて自衛隊の(日本の)PKOへのより積極的な参加へ向けて政府の中で努力を重ねてきた人たちの存在を忘れてはならず、わたしはまず彼らにお礼を申し上げたい。

何回かの調査団派遣や、現場とNYでの国連との折衝を重ねて日本は派遣への準備を進めた。その途上においては、何事もまじめに緻密に物事をつめ準備し人材も均質な日本と、なにかとアバウト(良く言えばフレキシブル)で、出来る(少数の)職員の質は非常に高いが、出来ない(多数の)人間は本当に仕事をしない、寄せ集めの国連組織との間ではいくつもの大小の「文化摩擦」や行き違いがあったと思う。これからも派遣期間中、きっといろいろあると思う。私もなるべくスムーズにいくように努力もしたし、またこれからも出来る限りするつもりだ。しかし無責任で突き放した言い方かもしれないが、これらは国際社会に出て活動するにはつきものの苦労なのだ。ハイチや南スーダンでの活動で、こういった苦労を体験し押しどころと引きどころの感覚をつかみ、国際平和活動に関する知見も持つ人材が育ちつつある。しばらくすると日本の外でのこういった活動をリードできる人材が出来てくるだろう。昔何かのインタビューで言ったことがあるが、そうなってこそ日本は国連をツールとして使いこなせるようになるだろう。

日本が南スーダン自衛隊を派遣する、より明確な理由付けを求める人も多い。「日本も応分の国際貢献する必要」という議論から、「南スーダンを支援するアメリカを念頭に日米同盟のため」、「石油利権」や「安保理入りをアフリカグループに支援してもらうための投資」という声も聞かれる。いずれもそうなのだと思うが、私はもっと単純に、世界の平和と安全に貢献することが日本の安全保障に直結するからだ、と言おう。

現在の世界での日本の「安全保障」というものをしっかり理解する必要があるだろう。日本は、北朝鮮・中国・ロシアの思惑の絡み合う極東地域というおそらく世界の中でも最も課題の多い安全保障環境にあるが、単細胞政治家が主張するように核武装すれば日本が守れるといったような、単純な安全保障は今日の世界では残念ながら(?)ありえない。日本の安全保障は、戦略的に多面的に様々な外交・防衛政策のツールを組み合わせることによって初めて可能となる。言うべきことはしっかり主張しつつも同時に近隣諸国をうまく付き合っていくという基本的な外交や、日本の防衛力を現在の安全保障環境に見合うよう強化する、日米同盟を深化しさらに将来を見据えてインドネシアやオーストラリアとの関係を強化して日本にとって重要な太平洋地域の安定を保持する、などは言うまでもない。世界の平和と安全のための責任を分担し、国際社会での地位と発言力を保つことは、イザというときの日本の安全保障のための重要な投資なのだ。ある意味、安全保障とはいくつものパズルのピースをいかに効果的に強固に組み合わせるか、と言う見方もできるだろう。

私はかねてから国連PKOは日本にとって非常に「使い勝手の良い」ツールであると思っている。国際社会には世界の安全保障に貢献するいくつかのツールがあるが、アフガニスタンのような状況での多国籍軍活動に参加するのは、日本の国情では難しい。一定の状況のもと、3原則(主たる紛争当時者の合意、不偏不党の原則、自衛およびマンデートの保護以外のための武力不使用)に基づいて活動する国連PKOへの派遣は、日本の国民にも受け入れやすい。国連の側としても、欧米がアフガンで手一杯で国連PKOに参加できない状況下(といっても、2014年のアフガン撤退を見越して近頃ヨーロッパ諸国の国防省政策担当者からの訪問を受けることが増えてきた)、日本のように能力の高い国が積極的にかかわってくれるのは国連の能力の底上げにもなるわけであるから、ありがたいのだ。

あとは日本の国内でまだこなすべき「宿題」を終えること、つまり、日本の安全保障のために、世界の安全保障に貢献しやすい状況を整えることだ。PKO参加時の自衛隊武力行使の見直しなどは言うべきもない。これは笑い話にもならないが、ちょうど日本が南スーダン派遣の正式決定準備中に、上司であるPKO局長に日本の武力行使原則や「武力行使との一体化論」(自らは直接武力の行使をしなくとも、他の者が行う武力行使への関与の密接性などから、わが国も武力の行使をしたとの法的評価を受けることがあり得るという考え方)などを説明したことがあった。反応は「え?」。リビア空爆を主導したフランス外務省の官房長だった彼には、理解しがたいことだったのだろう。

さて。ハイチのPKO現場で自衛隊の活動を視察したことのある日本人は、皆一様に「日本人であることの誇りで胸がいっぱいになった」という感想を持って帰ってくるようだ。私は、南スーダン派遣のもうひとつの重要な効果は日本人が失いつつあった自信と誇りを取り戻すことだろうとも思っている。日本という国は、国際社会で胸を張れる能力と資質を持っている。勤勉で緻密で、規律正しく一生懸命まじめに責任をもって何事にも取り組む。外に出てみないと、日本が評価されると言うこともわからないではないか。宝の持ち腐れにならないように、もっと外に出て、評価され誇りを取り戻そうではないか。成人してからの人生のほとんどを国外で過ごしてきた日本人として、いつもそう思っている。

最後に、南スーダンPKOミッションで勤務する同僚の原田さんが撮影した、自衛隊施設部隊のジュバ到着の写真をお借りしよう。産経新聞にも、いろいろ写真が載っている。皆、実にいい顔をしていると思う。リンクはこちらから。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120219/plc12021920350007-n1.htm