イスタンブール

イスタンブールは、世界の中でも最も好きな街のひとつだ。80年代の終わりに私がUNHCRの法務官として、国連でのキャリアの第一歩を踏み出したのは、トルコのアンカラであった。トルコ赴任時代、時々アンカラからイスタンブールに遊びに来たものだ。

今回の訪問(6月24−26日)の目的は、国連安保理の会議に参加すること。パネリストとしてスピーチを頼まれていた。G20のメンバーとして、新しい世界のパワーとして台頭しつつある国が、今、PKOの分野で発言力を高めつつあり、また高めるために国際会議・セミナーを競うように主催している。3月のインドネシア主催のセミナー然り、6月半ばにはブラジルもセミナーを開催。11月には、韓国が予定している。トルコは安保理非常任理事国でもあり、昨年秋から、このイスタンブールでのリトリート(避暑地のようなところに閉じこもってセミナー形式で行う会議。安保理もよくこの方式で非公式の会合を持つ。)を準備し、私の部局がトルコ側の準備を側面支援してきた。

こういうタイプの会合は、通常、「チャッタムハウス・ルール」に則って行われる。「チャッタムハウス・ルール」とは、フランクな議論を可能にするために、誰が何を発言したのかを議事録で明らかにせず、発言の引用をしないという了解のもとに会議を行うルールのこと。今回の安保理の会議では、安保理メンバー以外にも、いくつかの国の大使や、PKO局、政治局、人道援助調整局、法務局の事務次長、(プラスPKO局からは、政策部長の私)、そして、何人かの学者が招かれていた。

議論そのものは、それほど真新しいポイントはなかったと思うが、重要なのは、トルコがこの会議を、9月(トルコが安保理の議長国)のサミットレベルでの安保理会議の準備のための議論と位置づけていたこと。最後のセッションで、1992年の初めての安保理サミットが「平和への課題」報告書に結びついたように、国連の平和と安全の分野での新たなヴィジョンの構築に結び付けるべき、といった発言も聞かれた。実際にそういった動きになるかどうかはまだ不明だが、PKO局の政策部門としては、注意してフォローする必要がありそうだ。

2日間の会議の合間には、ボスポラス海峡に浮かべた船の上でのディナーなど、トルコ政府は、安保理メンバーに最大限の歓待を尽くした。

26日夕方、ようやく我が家に帰り着く。下の娘が手紙をくれた。「まま、もうしゅっちょうにいかないでね。みじかいのも、ながいのも、いかないでね。まま、だいすき。A(娘の名前)より。」手紙の下半分には、大きなハートのなかに、Aと私が手をつないでいる絵が書いてあった。