ヨルダンからイスラエルへ

6月24日(木曜日)。今日は1日で3カ国に滞在したことになる。朝はヨルダンのアンマンで目覚め、昼食はイスラエルのテルアビブ。そして、夜はトルコのイスタンブール

朝6時半に、UNTSO(国連休戦監視機構)の車がアンマンに迎えに来てくれる。ヨルダンから陸路エルサレム入りするのだが、ずい分前に申し込んだにもかかわらず、なぜかNYのイスラエル総領事館は私たちの公用ビザを発給してくれなかった。日本のパスポートでは、ビザなしで3ヶ月以内なら入国できるはずなので、その方法で入国申請するということで、国境でトラブルになることも想定して、早めに出発することにしたのだ。国連職員がイスラエルに入国する場合、時には、別室に呼ばれて2−3時間質問されることもあるという。結論から言って、私たちの入国には何の問題もなく、スムーズに手続きが済んだ。

エルサレム到着後、まずUNTSO司令部で、司令官および官房長からのブリーフを受ける。UNTSOは1948年に設立された、もっとも古い国連PKOである。アラブ・イスラエル戦争の停戦・休戦の監視を行い、また近隣のUNIFILやUNDOFの活動も支援している。UNTSOも、UNDOFと同じく比較的安定した状況下で、停戦監視を行ういわゆる「伝統的な」国連PKO活動である。同じ敷地内にある、UNSCO(国連中東問題特別調整官)オフィスでも同じようにブリーフを受ける。中東地域でのさまざまな国連ミッションをすべてまわって見て思うのは、これらミッションの調整をもう少し密にすることによって、地域全体でさらに国連の役割を強化できるのではないかということだ。

午前中のプログラムが終わったころ、UNRWA(国連パレスチナ難民支援機構)の友人がUNTSOの司令部に迎えに来てくれる。彼の車でテルアビブに移動し、そこでUNHCR時代の古い友人(元緒方高等弁務官の報道官、その後ブトロス・ガリ事務総長の報道官)と3人で昼食をとる。UNRWAの友人が、途中、東エルサレムの入植地の様子を車から説明してくれる。エルサレムからテルアビブに向かう道路を隔てて左側に広がる入植地に建設されつつある建物には、地上数階建てのビルなどもあって、中東初心者の私が想像していたユダヤ系入植者の小規模な住宅などとはイメージが異なっていた。建設されつつあるインフラで占領の既成事実化が進んでいるのは事実のようだ。そのような中で、UNRWAパレスチナ難民やガザ問題という、困難な課題に取り組んでいる。

テルアビブから夜8時の便でイスタンブールに飛ぶ。テルアビブ空港のセキュリティーの厳しさは聞いていたが、チェックイン前に、スーツケースをすべてあけられ、中をチェックされた。シリアで、オフィスの同僚たちへのお土産として、箱入りのドライフルーツを2箱買い、スーツケースにつめていたのだが、その箱に針で穴を開けて、中に爆薬が仕込まれていないかまで検査する始末。隣で検査されていた、パリ行きの便にのるフランス人男性は、1時間かけてスーツケースをチェックされた上、別室に呼ばれていろいろ質問されたそう。周辺国すべてと基本的に敵対関係にあるイスラエルという国の現実を、目の当たりにした。

イスタンブールへのフライトは2時間。機中、翌日の安保理の会議でのスピーチに手を入れる。到着後は、飛行機までトルコ外務省の担当者が迎えに来て、そのままVIPルームに案内してくれて、入国手続きも荷物の引き取りも、すべてやってくれた。感謝。ホテルに到着したのは12時近く。長い1日であった。