ゴラン高原から日本を考える

ゴラン高原

6月22日(火)早朝、ベイルートから陸路シリアへ向かう。ベイルートからシリア国境まではUNIFIL(国連レバノン暫定軍)の車に送ってもらい、国境まではUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の車が迎えに来てくれる。

3時間ほどで、目的地のゴラン高原近くのUNDOF司令本部に到着。早速司令官や、ミッション幹部からブリーフを受ける。UNDOFは1974年からシリア・イスラエルの停戦を監視しているミッションである。現在のPKOの典型である大きな文民部門を抱える多角的なPKOではなく、いわゆる伝統的な兵力引き離し・停戦監視型のPKOだ。日本も1996年から自衛隊を派遣している。私の訪問の目的の大きなひとつは、この日本からの派遣部隊を訪問することでもあった。

日本部隊の活動の評判は、とても高いようだ。司令官も、その他スタッフも、日本隊のまじめな活動振りや、規律の高さをとても評価していた。日本という国は、腰を上げるまでには本当に時間がかかるのだが、いったん決まったことは実に真剣に、まじめに、緻密にきちんとやり遂げる。自衛隊の派遣隊の指揮官や幹部も、ゴランでの活動が大変良い経験になっているといってくれた。現在UNDOFの派遣期間は6ヶ月なのであるが、これを1年くらいに延長しても良いのではないかとのこと。確かに、6ヶ月というのは少し短いな、という気がする。1年くらい現場に出ると、PKOの知見がぐっと高まるであろう。

UNDOFは安定した地域での活動であって、難易度が高い国連PKOであるとは言えない。国際平和活動には、国連安保理の授権があっても、国連以外の指揮下でおこなわれるアフガニスタンの対テロ戦・平和執行活動や、国連指揮下でも現場レベルで自衛やマンデート執行のために武力行使を時として必要とするコンゴなどでの活動、そして基本的に停戦監視型のUNDOFなど、いくつかの異なる「難易度」のレベルがある。私は、安保理の合意を経なかったイラク侵攻には、個人的には反対であったが、安保理の正式合意と、ホスト国の合意の下派遣されるPKO活動に関しては、日本は参加の数を増やすとともに難易度の高いミッションへの派遣をするべきだと思っている。ゴランやハイチでの派遣隊の人たちが頑張ってくれているおかげで、何とか日本の顔がわずかながらでもつながっているものの、世界の中で見れば、国際の平和と安全の維持という分野で日本が果たしている責任は、あまりにも小さい。政治家たちの、「日本として何が出来るか、考えていきたい」などという言葉は、正直、もう聞きたくない。考えている間に、日本だけ世界から取り残されていくことは明らかなのだ。ゴラン高原から考えるわが祖国であった・・・


派遣隊の指揮官からブリーフを受け、隊員の人たちと交流して、記念写真を撮った。ちなみに、このブリーフは、日本式に「起立・礼・着席」で始まり、私に同行していたスタッフ(アメリカ人)はびっくりしていた。私は、日本のこういう規律や礼儀正しさ、とても好きだ。(娘たちにこれを教えるため、毎晩夕食前に、「起立・礼・着席」をやっている。
でもいくらやらしてもピシッとした礼ができない・・・)

午後、ゴラン高原のいくつかのUNDOFポジションを視察したあと、夕方ダマスカスに移動し、その夜はUNDOFの現地採用の職員が、すばらしいシリア料理をアレンジしてくれた。彼女は、シリアの元スルタンの家系だということで、ダマスカス中のありとあらゆるところにコネを持っているらしく、たとえは、ダマスカス一番のフォーシーズンホテルを格安で手配してくれたり、ホテル到着時にはマネージャーはじめ一同で迎えてくれるなど、ものすごく歓待してくれた。1日しか滞在できないのが、実に残念であった。