ベイルート

ヘルシンキから、パリ経由で土曜日の、夜中近くにベイルート入りした。

翌日曜日はさすがに疲れがでたのか、8時くらいまでゆっくり眠ることができた。私は45歳を過ぎたころから、朝寝がまったく出来なくなってしまった。時差ぼけというものも一切しないのだが、そのかわり、世界のどこに行っても、朝6時くらいになると不思議に目が覚めてしまう。昔は昼ごろまで平気で寝ていられたのだが。

ビブロス(古代フェニキア都市)へのツアーはどうか」とのホテルの誘いにちょっと心が動いたが、のんびり休むことにする。何しろここ数週間、週末もゆっくり出来なかったので。(ただし、必ずしも仕事でではなく、子供たちの用事とか、出張中の家族のための買出しとかである。)BBCとかアルジェジーラ(とても良いニュースチャンネルである。BBCのジャーナリストをかなりヘッドハントしたようだ)のニュースをTVでみたり、ホテルのルーフトップにあるプールで泳いだり、プールサイドでイスタンブールでの安保理の会議でのスピーチの草稿に手を入れたりする。

夕方から、以前私の部署にいたことのある同僚の家に呼ばれて、食事に行く。彼女の夫は、国連のキプロス和平プロセスに関わっており、長くNYとニコシアで離れ離れに暮らしていたのだが、彼女はベイルートのポストに最近転勤してきた。ニコシアベイルートは飛行機で30分ほどなので、週末は一緒に過ごせるようになったわけだ。2人の子供も、うれしそうにしていた。

今朝(月曜日)から中東での出張プログラムが始まる。朝一番で、レバノンの政治ミッション(UNSCOL)に行ってブリーフを受ける。レバノンの政治情勢は複雑怪奇。資料を読んだり、ブリーフを聞いたりするだけで理解できるはずはない。いかに複雑であるか、のさわりくらいがわかったような感じだ。

ベイルートでのブリーフのあと、近くのヘリポートに、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)のイタリア軍の特別ヘリが迎えに来てくれる。南部レバノン(つまりイスラエルとの国境地帯)へは、車で行けば2時間かかるが、ヘリなら30分。ありがたいが、乗り込む前に、クルーの緊急時にそなえての説明で、「もし、海上に緊急着水する場合、ヘリは、プロペラの方が重いので水の中ではひっくり返ります。その際、完全にひっくり返るまで、動かないこと。パニックを起こして動き出してしまうと、方向感覚を失いますので。」とのこと。飛行機だろうと、ヘリだろうと、飛ぶのは大嫌い(というか恐怖症)なので、ぞっとする。「ともかくそんなことにならないように、ちゃんと飛んでください。」と念を押す。

30分でレバノン南部のナクーラというところにある、UNIFILの司令部に到着。早速、司令官のアサルタ将軍(スペイン)その他、司令部要員との会談。その中で、「司令部にいてブリーフを受けるより、現場を見に行ったらどうか」との将軍の勧めで、急遽プログラムを変更して、昼食のあと、またイタリア軍のヘリで、レバノン、シリア、イスラエルが国境を接する西セクターを視察に行くことになる。いったん西セクター司令部に降り立ち、そこで現場の司令官の説明を受けたあと、英語の達者なオペレーション担当の少佐を乗せて、国境地帯に向かう。ブルーラインイスラエルレバノンの停戦ライン)すれすれに飛ぶ。レバノン側にイスラエル領が入り込んでいるところがあったのだが、イスラエル側だけ灌漑が行き届いているのか緑の農地だったのが印象深い。国境のポジションで、さらにその現場での活動、問題などを詳しく聞く。3国の国境地帯に、「イスラエル市民権をもつシリア人が住む、レバノン領内にあるがイスラエルが実効支配している」ガージャという村があった。中東問題は本当に複雑だ。ちなみに、この複雑な地域のUNIFILの責任者は、年の頃30歳くらいだろうか、スペイン軍の中尉であった。軍隊はこうやって人を訓練する。

夕方6時にベイルートに帰り着く。明日は、ダマスカスに向かう。