コンゴ出張総括

 昨夜、ゴマから再び1日かけてキンチャサに戻り、1泊。昨夜はMONUSCOの官房長を務める友人と夕食をとった。彼はスウェーデン人で奥さんはUNHCRに勤めるノルウェー人。家族ぐるみでの長年の付き合いをしている。彼も、また単身赴任である。この仕事は本当に家族には負担がかかる。

 日中ロジャー・ミース事務総長特別代表と時間をかけて今回の訪問での結果を話し合う。ミース特別代表は長く在キンチャサのアメリカ大使を務めコンゴを知り尽くしている人だ。特別代表と2人の副特別代表、軍部司令官、警察司令官、官房長の幹部のチームがしっくりとうまく機能しているという印象であった。PKOに限ったことではないと思うが、トップがうまく機能していると全体がより効果的に活動できる。命令指揮系統をしっかりと整備すると同時に、PKOトップの任命責任の大きさを感じた。
 
 今回の出張で感じたことをいくつか。1つ目は、PKO活動がいかにぎりぎりの判断を求められるかということだ。例を挙げれば、人権侵害行為を重ねるコンゴの正規軍を支援するべきか否か。レイプ犯を国連が支援することはありえないという考え方もあれば、正規軍がオペレーションを行う際に国連のPKO部隊が「支援」することになれば同時に彼らの行為を「監視」することができるわけで、侵害行為を最小限にすることができるともいえる。簡単に答えの出せる問題ではないのだ。

 2つ目は、当たり前のことだが国連が当該国の政府に成り代わって「平和を構築する」ことはできないということだ。市民の保護活動にしても然り。PKO部隊は様々な創造的な試みで、保護活動を最大限効果的に行う努力をしているものの、その活動の中にコンゴ政府軍や警察を見ることはない。つまり、MONUSCOが撤退ということになった暁には現地の保護のシステムは残らないことになる。現地のシステム・能力を構築してこそ、現地政府の自覚ができてこその平和、ということだ。

 そして哲学的になってしまうが、豊かな先進国と紛争下の貧しい途上国とのあまりにも大きな格差にはいつものことながらショックを受ける。その一方、日本もほんの100年前、いや大戦後の65年前にはぼろをまとった裸足の子供たちが多くいたのだ。何をすれば、コンゴが現在の状況から発展への道を歩むのだろうか。

 チームメンバーが取った写真を何枚か紹介してコンゴ出張の締めくくりとする。


コンゴの子供たち。笑顔を向けてくれた。


トラックには人も荷物も山積み。


キンシャサの日没。