コンゴNo1 キンチャサ到着

 昨日南アからの直行便でコンゴの首都キンチャサ入りする。今回のコンゴ出張は、PKOにおける命令指揮系統の評価のため。わが部局ではPKO局とフィールド支援局の両事務次長の要請を受けて、1年かけてPKO活動における命令指揮系統の精査をしている。福島第一原発の事故とその後の対応を見ても良くわかるように、危機管理において命令指揮(コマンド・アンド・コントロール、略してC2)系統をはっきりとさせ、整備しておくことは活動の成否を決定付ける要因である。すべての状況を想定して対応をマニュアル化することは不可能であるから、想定外の状況に遭遇したときに、誰がどのような決定を下すか、情報をどのように共有するのかという意思決定メカニズムとプロセスをあらかじめはっきりさせておくのは、組織運営の基本である。民・軍が一体となって活動する非常に複雑で困難な平和維持活動において、安保理から現場までがどのような命令指揮系統の「鎖」でむすばれ、どのレベルで民と軍にどのような決定の権限があるのか、現行のC2政策ガイドラインは機能しているのか、改善する必要があるのか、などを詳しく分析している最中だ。

 コンゴのPKOミッションは規模が大きく、活動内容が複雑で多面的であるという今日のPKO活動の典型的な事例なので実際に訪問し、事務総長特別代表や軍事部門司令官、警察司令官など幹部との面談や東部の遠隔地の現場まで足を伸ばして訪問する。実際に活動が行われているのはジャングルの中の現場なのだから、市民を保護するというコンゴのPKOミッション(MONUSCO:国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)のマンデート実施がどのように行われているかを具体的に理解するのが必要なのだ。今回の出張は10人のチームを率いてやってきた。チームはそれぞれ軍事や警察、ロジなど支援部門など異なる専門分野を広くカバーできるようなメンバー構成になっている。

 コンゴには1996年(当時はUNHCRに勤務していた)ルワンダ難民危機の際に一度訪れたことがあった。その際は、タンザニアからブルンジルワンダ、そしてコンゴの順に空路または陸路各地を回ったことを思い出す。当時は難民危機の最中で混乱していたが、今回もキンチャサ空港の様子は15年前とそう変わらない印象だ。混沌、混乱。世界各地いろんなところに行ったことがあるが、この空港はおそらく最も混沌とした空港のひとつだろう。唯一変化した印象は、街中に何本かとてつもなく幅広い舗装された大通りができていたこと。中国が作った道路だという。以前キンチャサの街中にたくさん生えていたと記憶している木々はこの大通りを作った際に切られてしまったのだろうか。

 500コンゴ・フランは一番大きな紙幣だが、それでも約50セント。道端では草履のようなプラスチックのサンダルが500フランくらいで売られているのに、目にする多くの子供たちが裸足だ。

 1日中、キンチャサのMONUSCO本部で多くの幹部と面談。朝8時から夜8時まで、びっしり12時間のハードワークであった。これが約10日間続く。