再び日本出張

再び日本に出張した。今回は私の上司であるPKO局アラン・ルロワ事務次長の初来日に同行。私はバングラデシュから日本入りする。フランスの外交官であったルロワ氏はもちろん幾度か訪日したことがあるが、PKO局長としてははじめてだ。外務省・国連広報センター共催のシンポジウムでの講演を始め、外務省・防衛省内閣府の要人、そして民主党および自民党との会合などをたてつづけにこなす。彼のプログラムの調整にはNYの日本政府国連代表部を通じて私からも色々と要望を出させてもらったが、現在の日本の状況を考えるとPKOへの理解を深めてもらうために特に世論に訴える必要もあると考え、外務省・国連広報センターにメディアとのインタビューもいくつかセットしていただいた。

 ちょうど防衛大綱の見直しの最中であり、また日本のPKO参加のレビューをおこなう懇談会(東内閣府副大臣議長)が設立されたこともあり、事務次長の訪日の時期としてはちょうどタイミングがよかったと思う。日本という国は、決定を下すまではものすごい時間を必要とするのだが、いったん決断すればきちんと実施する国であることをルロワ氏にわかってもらい、少しずつではあるがPKOへのより積極的派遣に向かって動いている日本にハイレベルで働きかけをすることが国連PKOの将来にとっては重要であると話す。そして日本人としての私の考えとして、日本がPKOに積極参加することが日本の国益にもかなっていると述べると、彼もその通りであるとして、その後のいくつかの会合でこの見方を述べていた。日本滞在中にコートジボワールの状況が悪化したため、時差の関係もあって日本時間の夜中・早朝に幾度もNYや現場との電話協議が入り体力的にはきつかったと思うが、彼は精力的にプログラムをこなした。すぐに日本のPKO参加拡大といった結果が表れるものではないが、PKOの将来と日本への投資としては十分意義のある訪日であったと思う。もっとも、日本人として国内事情が見える私としては、以前にもまして内向きの政治情勢、外交・国際関係の分野では朝鮮半島と中国問題が主な関心事であって、大きな視点から日本を国際社会でどう位置づけるのかということを考える人が一層少なくなっているような気がして、心配になった。

 今回の日本出張では久しぶりに緒方貞子JICA理事長おめにかかる機会を得、夕食をご一緒させていただいた。緒方先生は私にとっては、国連でのいわば育ての親の一人でもありかれこれ20年もいろいろとアドヴァイスをいただいたり大変お世話になっている。今回もいろいろなことをお話ししたが、日本でのルロワ局長とある政治家との会合の中でその政治家が「アフリカは日本からは遠いのです」と述べたことに触れると緒方先生は一言、「アフリカでもどこでも来てくれと頼まれて出ていけないということは、結局日本はグローバル国家ではないということです。本当に、こんなに情けない国になるとは思っていなかった。」とおっしゃった。この言葉、引用させていただいてもよいですかと伺ってのことであるが、全く同感である。しかし緒方先生より若い世代の私としては、情けない国から日本を挽回するべく力を尽くさなくてはならない。

 ルロワ氏がプログラムを終えてNYに戻った後、私は半日長く滞在し横須賀の防衛大学で講義をした。防衛大学学長の五百旗頭先生は以前から尊敬しているし(五百旗頭先生が2か月に1度くらい毎日新聞の日曜版に執筆される「時代の風」コラムを私は楽しみにしている)、何よりも将来の日本の安全保障にかかわる若い世代の人たちと会って話をしてみたいと以前から思っていた。防衛省の幹部の方がこの機会をセットしてくださって感謝している。特に印象に残ったことが2つ。

一つ目は、講義の後の質疑応答で女性の自衛官の方から受けた質問。「以前、ゴラン高原でのPKO派遣を希望し手を挙げたが、女性はだめだと言われた。これは国連の政策ですか?」もちろん、国連の政策はこれとは正反対であって、ほとんど血眼になって女性のPKO要員派遣を各国に要請しているのだから、これは自衛隊としての決定なのだが、私は彼女が防大自衛隊の幹部の人たちもいる中でこの質問をしてくれたことに心を強くした。日本の女性は有能で強いし活躍の場を求めている。早晩、日本の防衛省自衛隊もこのような政策は変えるだろうと私は確信しており、彼女にもぜひまた応募してほしい、と伝えた。

二つ目は日本の中にも政治的な決断さえあれば、有能な人材を数多く派遣できる体制(訓練などを含む)が整いつつあることを今回お会いした自衛隊幹部の方から聞いたことだ。日本は本当に真面目な国だと思う。派遣体制を整え準備するにあたって、「ブラヒミ報告書は、それこそ何十回も読みました。」と数人の自衛官の方々から聞いた。多分、そんな国は他にはない。だからこそ、この国の政治家たちのだらしのなさが余計目につくのだが。