ベルリンの観光スポット

以前一橋大学で教えていたとき、なにかで「ベルリンの壁が崩壊した日を君たちも覚えていると思うけれども・・・」と言って、学生からまったく反応がなかったので驚いたことがある。学生たちは若すぎて、冷戦終結の日の記憶がなかったのだ。1989年の11月あの数日は、私より上の世代にとっては衝撃のときであったのに。当時UNHCRでトルコに赴任したばかりで何かと忙しかった私は、ドイツの若者たちが壁をたたき割る様を仕事の合間をみてBBCテレビにかじりついて見たものだ。大学院時代、ドイツ人ルームメートのクラウディアはよく東西ドイツが合併することなどありえない、とはなしていたのだが、わずか数年後に冷戦は終結した。歴史に不可能はないのだ、とその時強く思ったのを覚えている。

そして20年あまり。東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の残骸や監視塔は、ベルリンの町の観光スポットになっている。ベルリンが米・ソ・英・仏の4カ国分割統治されていた際のアメリカ管轄地区のチェックポイントチャーリーには、それぞれの国の軍服を身に着けた「軍人」たちが立ち、観光客たちの記念写真撮影のためにポーズをとっていた。


世界中色々な国を訪れたことがあるのに、実はドイツ訪問は今回が初めてだった。パリからストックホルムにいわゆる格安エアラインのエアー・ベルリンというのに乗ったのだが、せっかくなので経由地のベルリンに1泊して観光することにしたのだ。わずか1日でもベルリンに立ち寄ってよかったと思う。パリに比べて格段に小ぢんまりしたベルリンでも、家族みんなで地図を片手にてくてく歩く。ブランデンブルグ門はやはりドイツの象徴なのだろう。そして歩いて観察したベルリンは少なくとも私たちのような観光客には、旧東ドイツと西ドイツの間の違いは見られなかった。

タクシーの運転手に、ヒトラーが最後に立てこもり自殺した地下壕跡は観光スポットになっているのかどうかを聞くと、数年前に場所を示す案内板がたてられるまであまり知られていなかったほどだという。ベルリンの市民はこの場所がどこであるのかは知っているけれども訪れる者が多いわけではなく、むしろネオナチがこの場所を神聖化することを普通の市民たちは恐れているのだと言う。この近くに5年前つくられたユダヤ博物館は多くの観光客が訪れている。南ドイツにあるヒトラーの有名な山荘、ケールシュタインハウスは有名な観光地となっているのに、やはり「最期の地」には特別な意味があるのだろうか。私たちは、娘たちの年齢ではまだ理解できないだろうと考えてユダヤ博物館も今回は行かなかった。代わりに(?)ベルガモン博物館、ナショナル・ギャラリー、アルテス博物館をまわって、トルコで発掘されたゼウス大祭壇とか、エジプトのネフェルティティ、などを見る。ルーブルでも思ったが、なぜこういうものがいまだにヨーロッパにあるのだろうか・・・