ゴールディング卿の死

マラック・ゴールディング卿が亡くなった。ゴールディング卿は、元イギリスの外交官で国連に長く勤めた人。1992年に国連PKO局が創設されたとき、初代のPKO担当事務次長になった人だ。
今朝のPKO局の幹部会議で、ゴールディング卿の逝去に際して、彼の思い出や人となりを皆が語った。以下は私が話した個人的な思い出。

1992年夏、私は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のサラエボ事務所長として、ボスニアの国連PKOであった国連防護軍(UNPROFOR)の本部に寝起きして、現地での人道支援の指揮を取っていた。8月、ゴールディング卿がUNPROFORのサラエボ本部を訪問することになり、私はUNHCRの本部から、現場での状況やUNHCRの人道援助活動に関して詳細なブリーフをするように指示を受けた。まだ若いペーペーの国連職員でしかも現場の人間として、私は当時PKO局が何たるか、ゴールディング卿がどういう地位にある人なのか、よく理解していなかった。UNHCRジュネーブ本部の幹部いわく、「ゴールディング卿は、今の国連本部で事務総長についで2番目にもっとも権力を持っている人だから、失敗しないようにちゃんとブリーフするように。」

ということでその8月のある日、UNPROFORの幹部とともにゴールディング卿との会合に臨んだ私は、UNHCRの現地職員に、この会合はとても重要なものなので決して邪魔をしないように、と念を押した。ところが、会合が始まってしばらくしてブリーフィングをしている最中に、私のスタッフが途中で入ってきて、私に耳打ちした。「サラエボ人道援助空輸作戦のイタリア軍機が、撃墜されたらしい。」当時、UNHCRは陸路を断たれていたサラエボに人道援助物資を空輸するため、ヨーロッパ各国の空軍の協力を得て「空輸作戦」を展開しており、イタリア軍もその作戦に参加していたのだ。驚いた私はゴールディング卿に事情を説明した。

彼はすぐに「これは私へのブリーフなどより明らかに重要な緊急事態なので、早く行って対応してください。ただその前に、ひとつあなたに聞きたいことがあります。あなたは、国連がこの紛争真っ只中のボスニアに展開するべきだと思いますか?国連には、激戦地でできることが限られていると思うが。」

私は少し考えて以下のように答えた。「国連がここにいるべきか否か、私には明確な答えはありません。ただ、国連が撤退すれば、紛争はすぐに終結すると思います。セルビア側の圧倒的な勝利によって。国際社会がそれをよしとするか否か、ということではないでしょうか。」そして私はその場を去って、イタリア軍機撃墜への対応に追われた。確定はされなかったが、クロアチア勢力が撃墜したとの疑いが濃厚だった。8人のクルー全員が亡くなった。今もUNHCRジュネーブ本部の入り口に、このイタリア軍機の残骸が飾られている。

ゴールディング卿とは、その後も何回かお会いした。最後にあったのは東京で、彼が国際会議に参加されたとき。確か2006年のことだったと思う。そのときも、サラエボでの思い出話をした。彼はそのとき、国連のPKOは、ボスニアのような状況に対応するべきツールではなく、したがってUNPROFORの展開は誤りであったと述べた。私もその考えには基本的に賛成だ。ただ、圧倒的な武力によって民族浄化を図り国境線を変更するような行為に、国際社会が効果的に対応するべき策を持たない場合、果たして国連が国際社会の良心の象徴としてその場にとどまるべきなのか、という問題を私とゴールディング卿はグラスを片手に話し合った。

ゴールディング卿は、国連憲章の意味するところを深く深く追求した本当の国連人であった。