エジプト出張

エジプトを訪問するのは今回が初めてだ。PKOに関する国際会議に出席するため、上司である事務次長と一緒だったはずが、シリア情勢の緊迫に伴い、当日の朝になって事務次長は参加をキャンセルすることになった。それで、急遽会議での基調講演を事務次長にかわってしなければならなくなった。実はこの会議、本来なら2011年中に行われるべきところ、「アラブの春」(エジプトでは「エジプト革命」と呼ばれていた)のために3回延期され、さらにカイロではなくシナイ半島の最南端の保養地シャメルシェイクに場所を変更して開催された。

会議に先立ち、PKO局のガエ将軍とともにカイロでエジプト軍の幹部と面談。エジプトはPKOにとっては現在第7位の重要な部隊派遣国だ。いくつかの懸案事項を話し合う。

毎度のことながら、ホテルと会議場と政府の建物しか訪ねることができなかった。エジプトに来てカイロ市の郊外にあるギザのピラミッドも見ずに帰るのは私くらいではないか?タハリール広場は車で通ったが、TVで見るよりずっと小さい広場であることに少しびっくりした。エジプト革命の最中は広場につながるいくつもの通りを人々が占拠し、全体が広場であるようにTVの映像では見えたのだ。広場の中心部にはまだテントなどが張られていたが、それ以外ではデモもなく特に安全上の問題もなく全く普通の情景だった。

今回は出張中の仕事そのものより、エジプトの現在の状況や人々の様子に強い興味を持った。短い出張中に話ができるのは、軍人、外交官、シンクタンク職員など「エリート」と呼ばれる人たちに限られてしまい、それだけで状況がわかった気になってはいけないと自戒しつつ(私のような職種の人間には、こういう謙虚さは非常に大切だと思っている)、印象に残った3点のみ述べてみよう。

まず少し意外だったのは、話をした多くの人たち自身、「エジプト革命」が起こったことに驚いていたことだ。大使経験のある女性外交官は、2011年1月23日(つまり革命の始まった2日前)に日本大使とランチをともにし、その席で「チュニジアで起こったようなことは残念ながらエジプトでは起こらないだろう」と述べたという。このエジプト外交官によれば、体制変革を望んでいる人は政府内にも多かったが、強固であったムバラク政権を倒す力をエジプトの民衆が持ちうるとは信じられなかった、という。シャメルでの会議中、夕食前のアトラクションで、エジプト革命に関する記録プログラムを見せてもらったが、中高年の世代から同様の言葉が多く聴かれた。曰く、「今回ばかりは若い世代に拍手を送ろう。我々が不可能と思っていたことを彼らは成し遂げたのだ。」

2点目は、現在のエジプトにおける警察の位置づけである。革命中、民主化勢力のデモ隊を武力で弾圧したのは警察であった。ムバラク体制派の警察にかわり、(おそらくアメリカの意向もあって)軍が民主化勢力側についたことでムバラク政権は倒れた。そのため、革命後のエジプトでは警察の地位は大幅に低下し、姿がなかなか見えないのだ。軍関係者によれば、これが現在の国内での治安維持上、大きな課題になっている、という。じつは今回の出張中、軍と外務省のみならず警察幹部との面談もリクエストしていたのだが(エジプトは国連PKOに警察部隊も派遣している)、NYのエジプト政府代表部の反応はあいまいであった。こういう事情があったのだ、と遅ればせながら理解し、不勉強を恥じた。

そして、最後に「エリート」と呼ばれる人たちの多くが「革命」を歓迎しつつも、エジプトの先行きに不安を感じ始めているということ。早期の民政移管を求める、民衆のデモに対応するため、軍最高評議会のタンタウィ議長は今年6月までに大統領選を行うことを明言している。民意に応える措置だともいえるが、この早期の権力委譲に不安を覚える人たちも多いだとわかった。彼らの言い分は、早期に選挙ということになれば、ムバラク時代の弾圧も生き延び組織力も強固なムスリム同胞団をはじめとするイスラム系勢力が圧倒的に優位であって、そもそも民主化を達成した若者を中心としたリベラル派は苦戦するのは明らかである。実際12月の議会選挙ではムスリム同胞団サラフィー主義勢力が約70%を獲得している。むしろ、2年くらいの軍による暫定統治期間を設けてリベラル派が政党としての組織力を得る時間稼ぎをすべきであった、というのが彼らの考え方だ。「軍は統治のためのノウハウを持っておらず、暫定統治を長引かせる意図は全く持っていないが、将来的に政府内でイスラム化が進むとなれば、イスラエルとの関係など軍にとって非常に難しい状況になるかもしれない」と述べたのは明らかにアメリカで教育を受けたと思われるあるエジプト軍准将。「議会選挙でのムスリム同胞団の躍進を受け、本来合法であるはずの飲酒・アルコール供与を自粛するレストランが増えている。僕は酒飲みというわけではないが、これは良くない状況だと思うので、プライベートな集まりには必ずビールやワインをたくさん用意するようになった。」とは中堅の外交官。彼はイスラム教徒だが、エジプトの人口の10%はコプト教キリスト教徒だ。博士号を持つある女性シンクタンク職員は「スカーフで髪を覆う女性が増えてきている。これからのエジプトは、私のような女性には住みにくいところになるかもしれない。」

何より印象的であったのは、先の女性外交官の言葉である。「歴史というものは、ある時たがが外れると堰を切って流れ出し、この流れに逆らうことは誰にもできないのかもしれない。エジプトは今、そういった急激な歴史の流れの中にいるような気がするのです。」

さて。今、イスタンブール経由のトルコ航空NY便に乗っているが、実に快適。トルコワインや料理に舌鼓を打っている。カイロ入りしたときはエジプト航空直行便だったが、一日の勤務を終えて搭乗した機内で「シャンパンをお願いします」と頼んだところ、「当社ではアルコール飲料はお出ししておりません」。「えっ?!」そしてエジプト滞在中も、ずっとアルコール抜きであった。帰りはエジプト航空直行便が満席で、本当にラッキーなのであった。