ハイチ大地震−殉職した同志たちへ

 ハイチ大地震で、国連PKOミッションMINUSTAHの本部ビルが完全に倒壊し、数多くの要員が死亡した。国連職員が多く滞在していたホテル・モンタナも完全に倒壊し、そこで家族を失った同僚もいる。国連PKO関係者の犠牲者数は70名を越え、行方不明者がいまだ100名以上。ハイチ全体の犠牲者数は11万人とも12万人とも言われており、震災直後から、PKOミッションを建て直して治安を確保し、大規模な人道支援活動を進めるために、国連関係者がハイチ入りしている。その多くが普段NY本部で親しくしている同僚だ。PKOミッションのトップ2人はいずれも殉職されたので、当面の指揮を執っているのはNYから派遣された2人の事務次長補だ。彼らを補佐するために、私の部局からも最も有能な職員2人をハイチに派遣した。時々現場から連絡が入ってくる。

 こういう状況下で政策部門としての、私の部門のできる貢献は、現場の要請に応えて、国連の過去の経験・教訓を集め、分析して提供すること。これまで3つの要請があり、対応した。まず第1に、「危機対応センター」を設置するにあたっての過去の教訓。そして、国連の殉職者の遺族への対応にあたっての諸注意。第3に、数多くの国々が大規模な国際援助活動を開始する中、「戦略的なレベル」での調整をどう進めるべきか、についての教訓。1と2はすぐに対応できたが、3つ目の課題は、かなり難しいもので、現在アフガンなどの例を分析させている。

 ハイチで殉職した国連職員の中には、これまでPKO局に長年勤めた要のようなひとが数多くいた。一瞬にして彼らを失った私たちのショックは大きい。私の部局でも、先週は目を赤くしてる職員が何人かいた。そんな精神状態でも、粛々と業務を続けさせるのは、殉職した同志たちの理想と遺志をこういう時こそ引き継ぎ、追及するべき、という私たち国連職員の誇りかもしれない。

 確認された殉職者で、私が良く知っていたのは今のところ5人。アナビ事務総長特別代表は、それこそPKO局の古参で、長くNYで事務次長補をつとめられた。2008年の秋に、ジュネーブで世界中の事務総長特別代表たちを集めた会議の際に、現在のポストに着任早々の私に、様々な具体的なアドヴァイスをくださった。「政策は現場での経験に基づくものでなくてはならない、ハイチにも是非来るように」。彼の生前、ハイチに行かなかったことが悔やまれる。アナビ氏は、金曜日に故郷のチュニジアに葬られた。

 ダコスタ事務総長副特別代表も、PKO局の古参であった。長く、ロジなどのPKO活動のサポートサイドを担当され、彼によってPKO活動にリクルートされた職員も多い。すばらしいと思ったのは、彼の祖国、ブラジル政府の今回の震災での対応だ。ハイチのPKOミッションには、ブラジルからの軍事要員が多いのだが、彼らの現場での真摯な取り組みは賞賛されるべきだと思う。自国民の犠牲者の遺体のみ回収して、現場での救援活動の継続の要請を無視して、「ハイ、サヨウナラ」と撤収した、どこかの国の緊急部隊とは大違いだ。国連に奉職以来、故国ブラジルには長く住むことのなかったダコスタ氏の遺体も、ブラジルは空軍機を出して、いったんブラジルに帰国させ、そこでメモリアルを行うことを可能にした。2003年のバグダッドテロで殉職したセルジオ・デメロ事務総長特別代表の時も、そうだった。故国を離れて、長く国際社会に貢献した自国民を、このように扱ってくれる国もあるのだ。ダコスタ氏は、昨日、NY郊外に葬られた。

 先週の水曜日には、よく知っていたギドのメモリアルが国連真向かいのチャーチ・センターでおこなわれた。その日の夜、長年のパートナー、フィリペに付き添われて彼は故郷のフローレンスに無言の帰国をした。7年前に、当時企画調整局長として勤めていた国際機関、International IDEAにギドをリクルートした。アフガンの現場で勤めたあと、少し落ち着いた生活をしたい、と言うことで、彼はフィリペと共にストックホルムに移り住んできた。何事にもポジティブで、平和へのパッションと、人を魅了する暖かさを持った人だった。IDEAを離れて、国連に戻ったことは知っていたが、ハイチに勤務していたことは知らなかった。

 アンドルーは、本当に有能な、シャープな職員だった。PKO局の次の世代を担うと目されていた彼は、奥さんと3人の幼い子供を遺して逝ってしまった。リサとは2年前、ある国際会議で知り合った。物怖じせずに、はっきりと国連の欠点も認める発言をする彼女と、気が合った。シングルマザーであった彼女は10歳の息子を遺して逝った。

 国連が標的とされたバグダッドテロと異なり、今回は自然災害である。そして、おそらく苦しむことなく瞬時に逝かれただろう、ということが救いだ。アナビ氏、ダコスタ氏、アンドルーは、地震発生当時中国からのハイレベル代表団との会談中だったのだが、瓦礫の下から発見された時、彼らは会議のテーブルについた座ったままの姿勢だったという。

 殉職された同志たちに恥じない国連職員でありたいと思う。

 最後に、今回の震災への日本の対応について。赤阪国連広報局事務次長が、「日本のハイチ支援は少ない」と発言されている。世界第2位の経済大国、そして震災大国日本。本当に赤阪事務次長のおっしゃるとおりだと思う。